善を知りながら「ヤコブの手紙4章17節」

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「人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとって罪である。」

何が善か

ヨハネの手紙の4章には、このように書かれている。これは、単なる道徳の授業で教えているような話ではありません。

いじめはよくないとか、ボランティアを積極的にしなきゃとか、そういうことを言っているのではありません。

善とは、キリストです。キリストは罪なき者として生きました。そして、罪なき者として死んでいきました。

キリストの光に照らされる時、私たちの体は汚物のように真っ黒です。

まるで、真っ白い画用紙の黒い点がものすごく目立つように、私たちの黒さは、キリストの白さの中で際立ちます。

でも、キリストの善を知っています。罪がどういうものかを知れば、キリストの善がどういうものかもわかります。そして、ヨハネは、キリストの善を知りながら、それを行わなければ、それは私たちの罪だというのです。

これは、クリスチャンに向けた言葉です。

私たちは、この言葉によって、自分が罪人であると、告白することができます。告白するしかなくなるのです。キリストの善を知りながら、私たちはそれを行えません。罪人というと、法社会では法を犯した犯罪者のようですが、ここで言っているのは、神の前でどうかということです。

私たちは、神の前では全員が、罪人なのです。

そしてキリストは、罪人を救うために来たのです。

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