
わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14章27節)
平安を与える神
僕たちはいつも心を騒がせている。誰かによって、または自分自身によってもそうだ。
僕も、経済的なことについては、トレードで稼げるようになってからは全く心配はなくなったけど、それはただ単に、世が与える平安にすぎない。
神様から与えられる平安は、もっとずっと深くて、心の芯まで染み渡るような平安だ。
そして、それは、永久に尽きることがない。
全てを神様にゆだね、心に神様を受け入れると、すっと心が楽になる。
もう、自分一人で生きる必要はないし、誰かのことを恨む必要もない。あなたを縛るすべてのものから解き放たれる。あなたが背負うすべての重荷がかるくなる。
誰かを恐れることもしなくていい。
ただ、自分でいればそれでいい。
勘違いしてほしくない。神様を信じることは、まるで今までの自分を否定したり、自分を自分として認めなくなるのでは、と考える人がいる。
それは全く違う。
神様を信じるということは、自分を自分のまま受け入れるようになるために欠かすことができない。
自分という存在を認める。
例えば、あなたは父と母のことを受け入れているだろうか。好きな人もいれば、二度と会いたくないという人もいるだろう。
同じ血が流れていることさえも許せない、そんな人もいるかもしれない。
でも、存在は認めざるを得ないはずだ。あなたの父と母は間違いなく存在する。だから、あなたがここに存在するのだから。
では、祖父と祖母の存在もそこにあるはずだし、その前も、その前も、あなたの存在の前の前には、星の数ほどの人生があった。
自分をそのまま受け入れられずに、誰かの評価だったり、評判だったり、そんなくそくだらないことに心奪われて、この人生をそのことだけに賭けて終わっていく方が、それこそ、くそくだらない人生だとは思わないだろうか。
神様を信じ、受け入れたら、絶対にそんなことにはならない。
なぜなら、あなたをここに、この地上に誕生させたのは神様だからだ。あなたの人生の前の前の、ずっと前からそこにいて、今、あなたをようやく、この地上に誕生させたのである。あなたの人生を何よりも、あなたよりも、友達よりも、両親よりも、大切なものとして考えているのは、他ならぬ神様なのだ。
そんな神様が、くそくだらないことに人生を終えることを許して下さるはずがない。そんなことを望んでもいないのだ。
だから、神様を信じるということは、自分の人生を自分のものとして歩むことの近道になる。神様がそばにいてくれるということを知る。その平安たるや、他に例をみない。
明日も、明後日も、神様の守りがありますように。
わたしは、あなたがたに平安を残します。
わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。(ヨハネ14章27節)