礼拝の服装

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

久しぶりの投稿となります。当然トレードは順調に進んでいますが、切り取って張り付けて、コメント書いてー、のくだりをいったんやらなくなると、ずるずるやらなくなってしまうのが、僕の悪いくせ。

もう少し簡単に更新できるやり方を模索中です。

さて、最近、

礼拝の服装をちまちまいう奴がたくさんいる。

当然ながらそんなものは何の意味もない。礼拝にはスーツを着ている人もいれば、ジーンズの人もいる。皆思い思いの格好をしているわけで、比較的ラフな格好をしている人が多いという印象だ。

人はうわべを見るが、主は心をみる

のであって、そんなことは大事なことではないのである。

そんな僕に向かって、「君もいい年なんだから、スーツを着てきてもらいたい。」と言ってきたおじいさんがいる。

彼いわく、礼拝は神様の前に出るところ、しっかりとした服装をすることは当たり前であり、一番いい服を着てくるのが当然

とのことであった。

うるせーよ、じじー(。-∀-)

とは、心の中に収めたが、こういう、「こうじゃなければいけない」高齢者が老害というのだろう。

理屈はわかる。それを信条としたいなら全く否定する気もないが、それはその人にとってのbetterであって、万人にとってのmustではない。

そのようなどっちでもいい事柄のために、その人がもし、これまで周りの人を裁いていたとしたら、それが一番悪いことなのだと思う。

まさに、自分の目の中の梁に気がつかず、相手の目の中のちりを指摘する行為だ。

こうしなければいけない。

その考えは、律法的であり、罪をうみやすい。

僕がスーツを持っていなければ

礼拝にふさわしくないのか、スーツを着ていた方が、心が神様に向くのであろうか、そんなことは、全くナンセンスな話である。

全て疲れた人、重荷をおっている人は、礼拝に集っていいのだ。そこを下らない服装云々を指摘するのであれば、もはや人間の目を気にしたただのじじーの娯楽に他ならない。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。